医者の多く

薬局で買って気軽に使っているでしょう。

ストレス解消法「更年期障害でこんなにつらい思いをするくらいなら、命を縮めてもいいう祈るような気持ちで始めました」
このとき覚悟を決めたとい神様、どうか楽にしてくださいと張り薬からプレマリン卵胞ホルモンとプロゲストン黄体ホルモンの両方を毎日飲む方法に切り換えたところ、数週間で効果が現れました。専門家によると、同じHRTでも、張り薬より飲み薬の方が、より顕著な効果がみられるケースはままあるといいます。少し気力が出て、新聞が読めるほどに回復し、それまでできなかった外出もするようになり、電話にもでられるようになったのです。飲み薬を始めて2か月足らずで更年期のフォーラムにも参加できるほどに回復しました。それまではどんなに誘われても、家から出られなかったのですから、その効果は大きいといえるでしょう。
「私にとってはHRTはなにより気力をある一定程度まで引き上げてくれた、その基礎的な力をつけてくれたところがすばらしいと思いました。最低限の基礎的体力、気力がなければなにもできないんですから」
と恭子さんの実感です。「更年期障害は私にとってのプレゼント」
ところで何人かの医師に受診した恭子さんですが、恭子さんが

  • 医師によってアドバイスが異なるてんな経験をしました
  • 「1日なにもする気になれない」
    と訴えると、あるドクターはこう言いました。

    神経が優位

    ストレスにおちいったとき

    「動きたくないんですね。では、外出するのが無理だとしたら、すかベランダへちょっと出るとかしてはいかがででも、その一歩が出られないんです」
    「自分のできる最小限の中ででもできることをしないと、人間は退化していってしまうから、無理でもベランダへの一歩はだしましょうね。そういうルールはつくったほうがいい」
    たとえば散歩は別のドクターは出られなければ、自然に出られるようになるまで出なくてもいいんじゃないですかと、違う考え。
    恭子さんは後者のドクターの言葉に救われたと言います。まったく出られない日もあり後者の医師のアドバイというのも、日によってベランダの枯れた花をつもうかなと思う日もあれば、ます。前者の医師の言葉は恭子さんにとってプレッシャーとなっていました。しかし、スがあったおかげで、たとえ出られなくても気持ちは冷静でいられたといいます。睡眠剤、抗ウツ剤、抗不安剤など精神科系の薬を飲み、カウンセリングをうけ、HRTを試みて、発症してから3年近くたって、マイナス思考がプラスに向きを変え始めました。薬をやめてしまうことが抗精神病

    医学です。


    ただ、ウツ状態からすっかり抜け出す。にはさらに2年の歳月が必要でした。
    HRTで大きな効果を得られた恭子さんの場合、ウツのひきがねはのぼせや発汗、動悸といった典型的な更年期障害でした。こうしたケースはやはりまずはHRTで身体的な面を改善させることで、回復への大きな前進を得られることが多いといわれています。「気力が戻ると、人間がわがままだから心の苦しみが頭をもたげてくるんです」
    ボーイフレンドとの将来はどうなるのか。もうこれ以上は先のばしにはできない深刻な問題でした。仕事は収入の道はどうするのか。さらに体型が崩れてくるとか、白髪になった、目が老眼が進んでみえにくくなる歯がだめになる、肌が乾燥して新聞のページが1枚ずつめくれないりません。どう受けとめたらプラス思考になれるのか。少しずつ沸いてきた気力を頼りて自分が生きる道を探しだすしかないと考えられるように。ボーイフレンドとは自殺未遂などの修羅場の末別離人間、だれにも老いはやってきます。それをどう受け入れていくかというのは大きな課題です。私の場合は劇的な更年期障害を体験したことによって、一気に深く考えさせられました。生活を変える決心がついたので更年期障害は私にとっては大きなプレゼントになったと思います。そう考えられるようになった自分をほめてやりたいくらいです。暗くなる話を数えあげたらきりがあに、これらを乗り越え、失ったものが大きかったからこそ、ゼロからやり直す覚悟ができたようです。
    これからが本番です。
    治療が効いて

    ガンの心配はありません

    検査などを行うこともあります。
    【体験症例③】「がんばってきて、
    プッツンと切れたのが更年期」
    自分がこれまでのようにバリバリ仕事ができる時間はそう長くはないと思い知らされたとき、自分の能力の限界を実感し、果して自分の人生これでよかったのか、考えさせられます。そのとき、すぐにイエスと答えられる人は稀でしょう。
    むしろ、多くは真鍋三枝子さんないでしょうか仮名·64歳のように、一度は否定的になって落ち込みを体験するのでは長年身を置いてきたバリバリのキャリアウーマ真鍋三枝子さんは新聞というマスメディアの制作の現場に、ンです。同業の夫と28歳になる長女の3人家族更年期のウツ症状で苦しんだのはちょうど10年ほど前53歳で閉経して、やれやれこれで海外出張のときに生理の心配がなくなったと思っていたのもつかのま。ホットフラッシュが始まり、私はどうして急にこんなに汗っかきになったんだろうと驚くほどです。それに肌がピリピリと静電気が起きそうなほど乾燥。ひどかったのはウツ症状でした「ずっとギリギリのところでがんばってきて、プツンと切れたのが更年期職場での地位とか能力とか自分の限界が見えてくるんです。
    薬を飲むよりいい

    症状が出る頃

    そのとき出てきた台詞が『私の人生なんだったの』でしたね」
    「これまでやってきたことは全部報われなかった」
    と思ってしまったのひどい落ち込み方でした。
    です。とにかく仕事のこと。男女雇用機会均等法が施行され、雇用の門戸は広くなっても、出世の道筋はどうでしよう。まだまだ旧態依然とした男性社会で、女性は蚊帳の外といったところがほとんどではないでしょうか。三枝子さんの職場も例外ではありませんでした新聞というマスコミの制作現場は毎日待ったなしで仕事が進んでいきます。
    給料も同じ仕事をしているかぎりは男女差はありません。40代半ばまでは仕事に夢中で人事に関してはほとんど気になりませんでした。しかし、そのころから同じように走ってきた男性たちが毎年人事異動の季節になると、等級が上がり、役づきなったりする「大きな組織にいればいるほど、女性というのは超エリートでないかぎり、管理職のポストがない。人事異動の季節になると、女性はほとんどが蚊帳の外ですよ。男なみにがんばってきた女たちは顔には出さないですよでもはらわたが煮えくり返るような思いでいる人がどれくらいいるか。
    遺伝子組み換え作物のほうが数段安全だと思っています。

    治療でよく起こるのはなぜでしょう。

    治療の土台が崩壊してしまうのです。
    私なんかどうせダメとあきらめてましたね。人事の話になると仲間に入れてもらえないんですから」
    仕事だけではありません。家庭にしても同じ。寝る時間を惜しんで家の中のことも精一杯やってきたのに結果、家族はバラバラ。娘は大学受験を失敗。夫とはつかず離れずうまくやってきたつもりだったところがまったく別の方向を見ていたと気づくのもこの頃です。夫はゴルフに夢中で、休日も別々の生活が多い夫の家事手伝いは週末の買い物の運転手役と庭の手入れ、それにお米をとぐくらいがせいぜい。
    夜帰宅の多い同業の夫に、それ以上を要求するのも酷というものだと思ってしまいます。しかし、深それでも、三枝子さんが手抜きができる凄ならよかったのですが、一方で昔ながらの日本の主婦の体質も受け継いでいました。家の中はいつもきちんと片づいていないと気が済みません。ぬか味噌も母親の代からのものをずっときらさずつけていました。