うつ診断法

老化が進むというもの。

ようやくなんとかその日を終えたときには身体はくたくた、精神的には「私はなんてだめなんだろう」とすっかり自信喪失していました「自分は経験もありベテランにもかかわらず、先頭に立ってやらなければならない仕事の責任が今までのように果たせないのだから、もう職場にはいられないと思いました」
の項目ごとに会場を決め、外から来校する6人のドクターを各会細かい指示をしていくのですが、慣れた仕事のこの出来事を機に、それまでがんばり続けてきた糸がプツンと切れてしまったのか、範子さんはその後、文部科学省が関係した大きな仕事を断ってしまいます。
体調の悪さはとうてい理解してもらいようもなく、ただ、無責任でわがままな教諭としかみなされていないにちがいないと思うと、一刻も早く職場を去るしかないと決意を新たにしていました「今振り返ると『あれはなんだったのだろう』と思うのですが、あのときは身体も頭もまったくいうことをきいてくれないのですから、どうしようもありませんでしたね」
「よくなるものがあるのなら何でもやりたい」
範子さんが回復のきっかけをつかんだのは、春の身体検査から2か月後、親しい友人のアドバイスでした「漢方薬で更年期障害の治療をしている先生がいるから、一度診てもらったらどうお」
紹介されたのは東京医科歯科大学産婦人科助教授だった小山嵩夫医師です。

免疫力にとってかえってマイナスです。

当時、小山医師は大学の付属病院で更年期障害の患者さんを一手に引き受けて、治療にあたっていました(現在は東京銀座で小山嵩夫クリニックを開業)。
小山医師が更年期医療に本格的に取り組むようになったのは83年。研究発表でたびたび米国にでかけていったところ、米国の医学者から「日本も高齢化社会に向かって老齢化の分野にも力をいれなければ」と助言されたのがきっかけでした。更年期以降の女性が元気で生きるための医学、いわゆるメノポーズの領域の医学にっいては当時から米国では多額の研究予算が出ているとも聞かされていました。
いっぽう日本では、更年期医療の分野は学問的にもほとんど研究が進まず、臨床的にも対症療法や男女混合ホルモンの注射、あるいは漢方薬を使うといった旧態依然とした治療が行われていました小山医師はまだ日本では未開拓分野のホルモン補充療法略してHRTの試みを始めていました。

 

治療法を組み合わせることも可能です

いまでこそHRTについて知識を持つ更年期女性は多くなりましたが、その頃はほとんど知られていません。また大学病院の外来のあわただしい診療時間内にHRTについて説明するのは限界がありました。そのため、患者さんの中にはHRTが効果がありそうだと判断して試みたものの、出血などの副作用に驚いて、12回通院したあとはばったり姿を見せないといったことが続いていましたHRTについてはまだまだ臨床例が少なく、試行錯誤が続くといった状況のなか、範子さんは小山医師の診察を受けました。診察前、範子さんはあらかじめ渡された「簡略更年期指数SMI参照に記入してみると100点満点で、精密検査と長期間の治療が必要との評価でした漢方薬などの治療を始めて1か月余りが過ぎたころ、小山医師が範子さんに勧めたのがHRTでした「浅沼さん、いちどホルモン補充療法を試してみませんか。血液検査でもエストロゲンはゼロに近い状態です。し、試してみる価値はあると思いますよ」
子宮はすでに摘出していたので、子宮体ガンの心配もないと言われました「ちょうどアメリカに住んでいた友人がHRTを知っていて、アメリカでは受けている女性が多いという話を聞かせてくれて、やってみようかなと決心がついたのです。
薬などさまざ

細胞ができるのを抑えるため

それによくなるものがあるのなら何でもやりたいという心境でした」
と範子さんは打ち明けます。
職場にもどって校医にHRTの話をすると、60代半ばの内科医師は一言告げましたホルモンは怖いよ
しかし、範子さんは元気になれるのだったら、ところです。たとえ寿命が縮んだとしても試してみたいというのが正直な範子さんの場合、HRTを始めて4週目くらいから効き目が現れ始めました。肩凝りがうそのように消え手足の冷えが改善されて、体が軽くなっていくような感じがしました。よく眠れるようになり、食欲も出てきたせいか、体力が徐々についてきたのでしょう。朝起きて仕事にでかけるのがおっくうじゃないと感じるのは何年ぶりかの気分でした。身体症状もみるみる回復しました。ただ、ひどい物忘れや一度失った仕事への自信を取り戻すには、まだしばらく時間が必要でした。

細胞が機能するようにするわけです。

その後、範子さんは更年期の嵐の直中にいたときに支えとなってくれた同僚から、結婚を申し込まれたのを機会に職場を去り、まもなく結婚しました。範子さんは56歳の初婚、夫となった真一さんは凄を亡くして5年たっていました。
ところで、範子さんは症状が改善されたいまもHRTを続けているといいます。ずっと続けているのはアルツハイマーの予防が主な目的です。最近、学生時代の友人たちに会って驚いたのは、飲んでいる薬の多さ。降圧剤やコレステロールを下げる薬やら。私はエストロゲンだけでとても元気に過ごしていることを知って、改めてHRTに出会ってよかったと思いました。

検査をさせていただく

免疫不全による肺炎があります。健康維持に加えて、半年に1回血液や骨量検査、乳ガン検診が義務づけられているので、行き届いた健康管理ができていて安心です。小柄でふっくらとした肉付きの範子さんは、つらく厳しかった更年期の体験を語りながらも、取材の2時間あまり終始穏やかな表情を崩すことはありませんでした。そんな様子から、50歳を過ぎて良き伴侶に恵まれた範子さんの、心身ともに安定した現在の幸せな生活がうかがわれるようでした【体験症例②】「こんなに外見にこだわると気づいた時に……」
身体的な衰えのなかでも、容色の衰えは女性にとって大きな意味を持ち、強烈な自分への否定につながりかねません。もう2度と取り戻せない若い頃の美貌とスリムな肉体。今鏡に映る身体の否定的なイメージをどう受け止め、これから先をどのように肯定的に生きていったらいいのかここで紹介する石田恭子さん仮名·55歳は少なくないのではないでしょうか。


免疫不全による肺炎があります。 治療法今 神経が優位

認知症の患者さんの多く

医療の裏街道ともいえる老年

女は乳房を切り取ろうが、子宮を摘出しようが、ハートに女性性を持っていればそれでオーケーなのだから、妊娠できる身体ばかりが女じゃないのだとそれでもAさんはなっとくせず、ピルを使って生理をおこす処置をしてもらいました。ちょっとショッキングな話ですが、決して珍しくはないと医師は言います。とくに40代前半に多く、独身の女性たちはそれまでは結婚や妊娠に無頓着でいたのに、生理の周期が乱れて更年期の訪れを感じると、とつぜん不安になり、妊娠しなかったこと、結婚しなかったことにこだわり始めるのです。
男性社会で仕事をしてきた独身の女性たちにとって、妊娠、出産できる身体でいたい、あるいは外見的な若さを維持したいという女性性にまつわる願望は、想像以上に大きいことに気づかされるのも、この更年期の始まりの時期かもしれません。

薬をやめる年配の方も多いのです

これほど極端ではなくても、私たちはそれまであたりまえのようにあったものがなくなると、急にうろたえたり、さみしくなったりしがちです。その存在が大きければ衝撃は大きくなり、執着が強ければ失うことによるフラストレーションは強くなるのは当然でしょう。更年期は女性にとって卵巣機能の停止に始まって、その他にもいろいろなものを失ったことに気づかされる時期です。
たとえば老眼ひとつとっても、書類にさっと目を通せなくなると、瞬時の判断力が鈍ります。またこの時期は目に見えて物忘れが多くなり、集中力も落ちてくるものですが、そのために仕事の能率が悪くなります。同じ時間でできる仕事の量が減っているのに気づいて愕然とします。仕事を持つキャリアウーマンたちにとって、身体の否定的変化は思った以上にこたえるものです。

 

病気を抑え込もうとするのです。

できる女たちほどそのときの動揺は大きく、現実を受け入れがたいと思ってしまいがちです。
ことほどさように更年期は自分に対するさまざまな否定的変化が重なる時期ですが、心理学者の岡本祐子さんは、「中年期の否定的変化を最も如実に認識させるのは、体力の衰えである」と指摘しています。というのも、「自分の身体に関する感覚や感情は、自己イメージを形成する大きな要であり、身体イメージはアイデンティティの感覚とも深く関連している」からです。こうした身体的な喪失感はときには大きなダメージとなり、二次災害のように更年期症状をさらに悪化させることがあります。もし、若さが終わったことを潔く認められないとしたら、更年期の葛藤は深く、川越えに手こずるかもしれません。
【体験症例①】「我慢するしかないと思っていました」
更年期障害がひどく、仕事を続けるのが困難となり、真剣に退職を考える人は少なくありません。
なかにはは更年期障害から仕事への自信を実際に退職に追い込まれるケースもあります。
浅沼範子さん仮名·66歳なくし、20数年勤めた職場を去る決意をしました。
私立男子高校の養護教諭だった範子さんに、更年期の身体的症状と精神症状が出たのは45歳の頃最初に現れた異変は乳腺症でした。
症状が現われる。

神経にアルコール注射をしてマヒ

新学期を迎え、仕事がもっとも忙しい4月に左右両方の胸がはって痛いほどでした近所の外科へ行くとガンではなく乳腺症と診断されました。更年期症状もあるので男女混合ホルモンを打つと治るといわれ、しばらくの間、週1回通って注射してもらうと、少し楽に。乳腺症は一時的なものでしたが3年ほど続き、毎年4月から5月にかけて仕事が忙しくなって疲労が重なると症状が現れました。
肌が乾燥して、気がつくと腕や足が粉をふいたようにカサカサしているのを発見したのも同じ頃です。子宮全摘手術のあとから出ていた足の冷えはいよいよひどくなり、スカートをはけなくなるほどで、夏のクーラがこたえました。そのくせ、上半身はカーッと暑くなって汗をびっしょりかく。イライラすることが多くなったのもこの頃からです。

医学部研究員

私は看護師ですから、今自分は更年期だという自覚はありましたが、当時は治療法がわからなかったので、我慢するしかないと思ってました
と範子さんは20年前を振り返ります。
それでも、その程度の症状でおさまっていたなら仕事や生活に支障をきたすことはありませんでした。
しかし、そうこうするうちに物忘れがひどくなってきました。
学校の金庫に鍵を差し込んだまま帰宅してしまったときは、すっか気力、集中力が極端に落ちているのも感じていました。活字を読むのがつらく、クになってしまいました新聞や毎月定期購読していた仕事に関連した雑誌が読めなくなっていました。
愕然としたのは研究会に行ったとき。学校に提出するための報告書を書こうとしたところ、ていたはずなのに、その内容がうろ覚えでうまく書けないのです。

細胞が最初に障害を受ける

治療ではありません。講師の話を聞いさらに、今日中に片づけなければならない仕事が滞ることが多くなってきました。
自信があったはずの整理整頓もあやしくなってきました。
どうしちゃつたのかしら、なにかへんだわ、私そんなつぶやきが日に日に多くなり、深刻さを増していきました。そんな毎日が続くと、不安になって夜も眠れなくなってきます。
「ものすごい焦燥感にかられました」と範子さんは振り返りますが、人生の大きな転換期がいま訪れているという自覚は、そのときの範子さんにはありません。範子さんの焦燥感はやがて無力感に変わり、ウツ状態へと悪化するのに時間はかかりませんでした昔の看護師仲間の先輩や友人に相談すると、「更年期はある時期が過ぎたら治るんだから、我慢しなさい」
「なにか夢中になれることを見つけて気分転換してみたら」「独身で気ままに暮らしているから、ちょっとわがままなんじゃないの」、といった言葉が返ってきました。


治療ではありません。 薬を増やせという 検査を受けておくのがよいのです