医師の得意分野を調べることです。

症状の出ている

逆に栄養があまり入らないような飢餓状態になったときには、マクロファージは無駄を省き、最小限の食べ物でも生きていけるように、からだのはたらきを整えるのです。すでに蓄えられた脂肪分までなくなったときには、筋肉や骨などからとりあえず不要な一部分をエネルギーに転換します。人類はそうやって生き延びてきたのです。人類は、現代のような飽食の時代よりもずっと長いあいだ、食べ物の不足した飢餓の時代を生き延びてきました。もともと私たちのからだは、飢餓に対応できるメカニズムを備えているのです。そのような生命維持を担ってきたのがマクロファージです。
マクロファージはまた、TNF腫瘍壊死因子というサイトカインの一種を放出します。その名のとおり、がん細胞を破壊するはたらきがある物質ですが、それだけでなく、ケガをしたときには繊維細胞を増殖して傷を治す風邪をひいたときには発熱や睡眠を誘導してウイルスを排除する機能もあります。マクロファージには、からだをやせ衰えさせる作用がありますが、それはこのTNFのはたらきによるものです。マクロファージがからだをやせさせるのは、代謝を抑制して、少ない白血球で生体の防御を可能にするためだと考えられます。
薬の場合

つまり、それによってマクロファージが活動しやすくなるわけです。やせることで、エネルギー代謝をそれまでの半分に抑えられれば、病気で白血球が五0パーセントに減っていても、なんとか病気と戦える態勢になるということです。
ですから、自力で食べられない人に点滴で栄養を入れるのは、かえって病気と戦う力を失わせることになるといえます。治る病気であれば、食べないほうが苦痛もなく、治りも早いのです。
栄養の処理も担っているマクロファージが、その役割から解放されて病気を治すことに集中できれば、免疫力が効果的に発揮されます。民間の断食療法が最近はやっていますが、免疫学の立場からすれば、このように説明できるわけです。
野生動物は病気になると、何も食べないでじっと回復を待っています。
て病気を治そうとしているからです。それは、本能的にからだの声を聞いところが人間は、病気を治すためには食べないと、からだが消耗するだけだと考えますからだがほんとうに栄養を必要としているのならば、病気になっても自然に食欲が増すはずなのです。ところが無理に栄養補給をするからかえって病気が治らずに、長引いて寝たきりが続くのです。そこに気がつかないと病気はいつまでも完治しないということを、アマゾンの先住民たちは教えてくれています。
最期はその人の生きる力
にまかせる白血球のなかでも、リンパ球は進化してできたものですから、ある意味で人間らしさを象徴したものといえます。

症状が軽く

  • 細胞の受容体
  • ホルモンを投与して様子を見ることもあります
  • 病気をもつ仲間など困ったときに話し合


症状に作用する新


医師を信頼

しかし原始的なマクロファージは、究極的な生き死にを左右するものです。そして、生きるか死ぬかはその人の生きる力の勝負です。
病気になったりケガをしたりしても、若いうちは救急処置や応急手当てなど現代医学の力で十分に治せます。しかしお年寄りが、生活の無理や、逆にラクをしすぎた結果かかった病気は、酉洋医学の対症療法では効果がないのです。ここでその人の生きる力が問われます。まだ生きる力が残っているのなら、点滴などやめて、マクロファージを病気と戦うことだけに集中させれば痛みもそれほ快方に向かうはずです。
食べる元気もおのずと復活するでしょう。
生きる力がもはやなければ、どなく、そのまま安らかな死を迎えられます。生死を分かつ瀬戸際に立たされた患者さんに、無理やり栄養を与えるから、マクロファージはその生きる力を全力で発揮できずに、なかなか回復しないのです。そして、苦しみも長引くのです。アマゾンのインディオのように、最期は一人ひとりの生きる力にまかせてもいいのではないでしょうか。
生きる力がなくなってしまっていたら、そこで死ぬのも仕方のないことなのです。
逆らい、寝たきりになって苦痛にもがいてまで生きたいかどうかです。
そのような自然の摂理に作家の吉村昭さんは、点滴を自分で引き抜いて延命措置を拒否したと聞きます。
歯科医師の得意分野を調べる。

医師の頭の中身を疑ってしまいます。

おそらく自力で食べることもできず、寝たきりになり、意識もないままにただ生きながらえることを拒否したのでしょう。
長生きするといっても、心身ともに健康でなければ意味がないでしょう。たとえ百歳を迎えても、ただ生かされていることがめでたいというわけではありません。病院のベッドで薬づけにされたまま生かされていても周りがたいへんなだけかもしれません。あるいはボケて歩くこともできず、自分で食べ物を口に運ぶ力もなく生かされているのが、本人にとって幸せなことなのでしょうか。
もちろん、このような考え方は、現代の福祉がめざすものからは逸脱していますから、反論もあるでしょうしかし、最期は個人の生きる力にゆだねるほうが、みずからの死をよりよく迎えるという意味でも、人間の尊厳にかなっているように私には思えるのです。


薬も飲んでいるようなのです

病気があったりする

現代医療を進めれば、寿命が延びるのに比例して、ますます寝たきり老人をふやすことになり、自分で自分の死さえ選ぶことができないようになります。生きる力を失い、死を待つばかりの人に点滴をして無理やり栄養を注入すると、マクロファージはそれに反応せざるをえないため、無駄な労力を使って苦痛の死を迎えることになります。不必要な栄養がなければ、苦しむエネルギーさえ生まれません。
昔の聖人は死期を悟ると、断食して枯れるように安らかに死んでいったといいます。
治療ではありません。


病気が現われるのも女性より早い。

日本でも弘法大師空海が、やはり最期は食を断って死んでいきました。彼らは理屈ではなく、感性でからだの仕組みを知り、人間の本来あるべき死に方を見つけたのでしょう。
アマゾンの先住民たちは、いまだに似たような方法を実践しています。それは、自然に沿った生き方をしているため感性が鋭いからです。野生動物も最期は身を潜めて食を断ち、静かに死んでいきます。それが生物の本能に刻まれた本来の死に方なのではないでしょうか。
年齢すら気にしない自然な生き方南研子さんから伺ったアマゾンの先住民の人たちの話で、もう一つ非常に興味深かったのが、彼らには文字もなければ、貨幣もないということです。文字がない生活もお金のない生活も、私たちには想像できません文字がないので、過去については伝承で伝えられることしかわかりません。