医師による

医師の得意分野を調べることです。

症状で悩む方って
病気は生き方の偏りを知らせてくれている

多少は若い人たちに窮屈な思いをさせることがあるかもしれませんが、これからの高齢者は臆することなく、もっともっと元気でいようと思っていいのです。
もちろん、高齢者がいっまでも権力を握っているというのはよくありません。
いつの時代でもリーダーシップは若い世代に譲られていくものです。しかし、高齢者は高齢者なりに経験を生かして若い人たちをバックアップすることができます。少子化がどんどん進む時代ですから、元気な高齢者が社会貢献できる機会は多いはずです。そのためにも、仕事をリタイアしたからといって活力まで失うのではなく、いつまでも心もからだも健康に保ち、生きる力を輝かせていたいものです。

アマゾンの先住民に見る生きる力
生きる力
について、アマゾンの先住民の生活を例に考えてみます。
先日、アマゾンの奥地でインディオの人たちとともに暮らしている南研子さんという方とお話をする機会がありました。南さんは、アマゾンの先住民保護区への支援活動を11年近く行なっています。毎年必ず数カ月は現地に入り、会費や寄付を元手に医療や教育、自然保護のプロジェクトを進めている人です。私と同じ年齢ということでしたが、実年齢よりも十歳以上は若く見えます。南さんがいっしょに暮らしているインディオの部族は南さんからアマゾンの医療の実態などを伺いました。
五00人くらいで、もいないというのですから驚きです。
なんと、そのなかに寝たきりの人はひとりもいないというのです。

更年期障害の外来ならこちら。

神経優位の状態に切り替わるのです

この二十年間でひと病気で長く寝込むことがあっても、せいぜい十日もあればすむそうです。かなり質彼らの主食はイモで、おかずは果物や川で獲った魚などです。
私たち日本人の生活とくらべれば、素な食事です。周囲はジャングルに囲まれていますから猛獣や毒蛇が生息していて、ことはできません。毒蛇に噛まれたら一巻の終わりです。
自分の身を守る力がないと生き延びる南さんはアマゾン奮闘記
中国新聞のなかで、こんなことを書いています。トイレはジャングルで、風呂は川で。本来なら一番リラックスできる場所だが、ここでは極度の緊張を要する。ある時、森で用足しをしていると、1メートルくらい先に、鮮やかな色をした蛇がじっとこちらをうかがっている。
思わず「怪しいものではありません。ジャングルを守るために遠い日本からきました……」と真剣に訴えた。
蛇は黙って通り過ぎて行ったが、後でインディオにこのことを話すと、「それはジャララカという猛毒蛇で、かまれたらこの世のありとあらゆる地獄を味わって、数分で死ぬよ」と言われた。私は今でもの蛇は私の言ったことを理解してくれたと信じている。
これほど過酷な環境ですから、ケガをしたり病気になったらたいへんです。基本的には、自分で治さなければいけないわけです。病気になっても最初の三日ほどは様子を見ているだけで、六000種類の薬草はあるそうですが、めったに使わないのだそうです。
病気という概念がなく、「悪霊か何かがご馳走を食べにきた」ととらえていて、その悪霊が満腹になって帰るのをじっと待ちます。

神経は正常ではない。

ついには薬草を使い、それでも帰らないと、そこでシャーマンが出てきて、「もう満腹したんだから帰りなさい」と悪霊を諭すのです。
病気で寝込んだ人には、周囲がイモや魚などの食べ物をもっていってあげるのですが、枕元に置くだけで手を添えて病人に食べさせてやることは決してしないそうです。病人自身が、枕元にあるその食べ物を自力で食べなければなりません。それができれば回復し、食べる力がない人は、そのまま死の階段をしるのです。だれかがもってきてくれた食事に、自力で手を伸ばして食べられるかどうかで生死が決まる世界。食べられない人は、四、五日もあれば死を迎えるそうです。じつは、絶食状態でからだが弱ると、死の苦痛はそれほど強いものではありません。四、五日も絶食すれば、最期は恍惚状態になるはずです。こうこつ病気になったら栄養をとるのは大間違いひるがえって、いまの日本の医療現場を見るとどうでしよう。病人にスプーンで口まで食べ物を運んであげ意識がなくなったら今度は点滴で栄養を与えて延命させます。自分の手で口までもっていくことができない病人に食べさせるのはいいとしても、点滴で栄養を与えてまで生き延びさせるのが、はたしていいことなのでしょうか寝たきりで食べる力がもはやなくなり、意識もほとんどなくなった状態で、ただ生き延びさせることだけが目的になった医療本人に生きる力がなくなっても長生きさせるのが日本の現状です。
意識を失った寝たきり状態から実際に回復する可能性は、このような治療をしているかぎりごくわずかです。私の免疫学の理論で考えれば、寝たきり状態になって点滴で栄養をとっていると、マクロファージが病気を治す方向にはたらかなくなるのです。
マクロファージは異物が侵入してきたときに指令を出すだけでなく、組織が壊れたときには修復する指令を出しています。また、カルシウムが不足すると細胞の物質交換がうまく行なわれなくなり、新陳代謝が衰えてしまいますが、そうしたとき、マクロファージは破骨細胞に指令を出して、骨の一部を破壊して不足しているカルシウムを補うようにします。栄養が入ってきたときも、それが余ったときには脂肪細胞に号令をかけて貯蔵するように命じます。体内に栄養がありすぎて貯蔵しきれなくなると、コレステロールなどになって血管壁にくっつき、動脈硬化の原因になるからです。
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症状の出ている

逆に栄養があまり入らないような飢餓状態になったときには、マクロファージは無駄を省き、最小限の食べ物でも生きていけるように、からだのはたらきを整えるのです。すでに蓄えられた脂肪分までなくなったときには、筋肉や骨などからとりあえず不要な一部分をエネルギーに転換します。人類はそうやって生き延びてきたのです。人類は、現代のような飽食の時代よりもずっと長いあいだ、食べ物の不足した飢餓の時代を生き延びてきました。もともと私たちのからだは、飢餓に対応できるメカニズムを備えているのです。そのような生命維持を担ってきたのがマクロファージです。
マクロファージはまた、TNF腫瘍壊死因子というサイトカインの一種を放出します。その名のとおり、がん細胞を破壊するはたらきがある物質ですが、それだけでなく、ケガをしたときには繊維細胞を増殖して傷を治す風邪をひいたときには発熱や睡眠を誘導してウイルスを排除する機能もあります。マクロファージには、からだをやせ衰えさせる作用がありますが、それはこのTNFのはたらきによるものです。マクロファージがからだをやせさせるのは、代謝を抑制して、少ない白血球で生体の防御を可能にするためだと考えられます。
つまり、それによってマクロファージが活動しやすくなるわけです。やせることで、エネルギー代謝をそれまでの半分に抑えられれば、病気で白血球が五0パーセントに減っていても、なんとか病気と戦える態勢になるということです。
ですから、自力で食べられない人に点滴で栄養を入れるのは、かえって病気と戦う力を失わせることになるといえます。治る病気であれば、食べないほうが苦痛もなく、治りも早いのです。
栄養の処理も担っているマクロファージが、その役割から解放されて病気を治すことに集中できれば、免疫力が効果的に発揮されます。民間の断食療法が最近はやっていますが、免疫学の立場からすれば、このように説明できるわけです。
野生動物は病気になると、何も食べないでじっと回復を待っています。
て病気を治そうとしているからです。それは、本能的にからだの声を聞いところが人間は、病気を治すためには食べないと、からだが消耗するだけだと考えますからだがほんとうに栄養を必要としているのならば、病気になっても自然に食欲が増すはずなのです。ところが無理に栄養補給をするからかえって病気が治らずに、長引いて寝たきりが続くのです。そこに気がつかないと病気はいつまでも完治しないということを、アマゾンの先住民たちは教えてくれています。
最期はその人の生きる力
にまかせる白血球のなかでも、リンパ球は進化してできたものですから、ある意味で人間らしさを象徴したものといえます。

生活習慣を身につけているからです。
薬も飲んでいるようなのです

細胞の発生を抑える方法です。

症状が陽性しかし原始的なマクロファージは、究極的な生き死にを左右するものです。そして、生きるか死ぬかはその人の生きる力の勝負です。
病気になったりケガをしたりしても、若いうちは救急処置や応急手当てなど現代医学の力で十分に治せます。しかしお年寄りが、生活の無理や、逆にラクをしすぎた結果かかった病気は、酉洋医学の対症療法では効果がないのです。ここでその人の生きる力が問われます。まだ生きる力が残っているのなら、点滴などやめて、マクロファージを病気と戦うことだけに集中させれば痛みもそれほ快方に向かうはずです。
食べる元気もおのずと復活するでしょう。
生きる力がもはやなければ、どなく、そのまま安らかな死を迎えられます。生死を分かつ瀬戸際に立たされた患者さんに、無理やり栄養を与えるから、マクロファージはその生きる力を全力で発揮できずに、なかなか回復しないのです。そして、苦しみも長引くのです。アマゾンのインディオのように、最期は一人ひとりの生きる力にまかせてもいいのではないでしょうか。
生きる力がなくなってしまっていたら、そこで死ぬのも仕方のないことなのです。
逆らい、寝たきりになって苦痛にもがいてまで生きたいかどうかです。
そのような自然の摂理に作家の吉村昭さんは、点滴を自分で引き抜いて延命措置を拒否したと聞きます。
おそらく自力で食べることもできず、寝たきりになり、意識もないままにただ生きながらえることを拒否したのでしょう。
長生きするといっても、心身ともに健康でなければ意味がないでしょう。たとえ百歳を迎えても、ただ生かされていることがめでたいというわけではありません。病院のベッドで薬づけにされたまま生かされていても周りがたいへんなだけかもしれません。あるいはボケて歩くこともできず、自分で食べ物を口に運ぶ力もなく生かされているのが、本人にとって幸せなことなのでしょうか。
もちろん、このような考え方は、現代の福祉がめざすものからは逸脱していますから、反論もあるでしょうしかし、最期は個人の生きる力にゆだねるほうが、みずからの死をよりよく迎えるという意味でも、人間の尊厳にかなっているように私には思えるのです。
細胞が食べられるときに炎症反応が起つまりとSOSを出す。

医師を信頼

現代医療を進めれば、寿命が延びるのに比例して、ますます寝たきり老人をふやすことになり、自分で自分の死さえ選ぶことができないようになります。生きる力を失い、死を待つばかりの人に点滴をして無理やり栄養を注入すると、マクロファージはそれに反応せざるをえないため、無駄な労力を使って苦痛の死を迎えることになります。不必要な栄養がなければ、苦しむエネルギーさえ生まれません。
昔の聖人は死期を悟ると、断食して枯れるように安らかに死んでいったといいます。
日本でも弘法大師空海が、やはり最期は食を断って死んでいきました。彼らは理屈ではなく、感性でからだの仕組みを知り、人間の本来あるべき死に方を見つけたのでしょう。
アマゾンの先住民たちは、いまだに似たような方法を実践しています。それは、自然に沿った生き方をしているため感性が鋭いからです。野生動物も最期は身を潜めて食を断ち、静かに死んでいきます。それが生物の本能に刻まれた本来の死に方なのではないでしょうか。
年齢すら気にしない自然な生き方南研子さんから伺ったアマゾンの先住民の人たちの話で、もう一つ非常に興味深かったのが、彼らには文字もなければ、貨幣もないということです。文字がない生活もお金のない生活も、私たちには想像できません文字がないので、過去については伝承で伝えられることしかわかりません。