予防する有効な方法

治療が効いて

薬に頼ることなく病気欠勤の診断名は更年期障害ウツ状態。百合子さんが更年期障害で病欠をした最初の事例となりました。幸い、職場では抵抗なく受け入れられたようです。職場で理解されたのは、ふだんの百合子さんのまじめな勤務態度への評価の証ともいえるのでしょう。
それにしても、いったいなぜ自分はウツ状態になったのか、百合子さんは家で静養しながら自問自答しまし改めて振り返ってみると、仕事のストレスは少なからずありました。
係長から課長代理に昇進しました「それが気づかないうちにプレッシャーになっていたのかもしれない」
2年前に部署が変わって、それに伴いと百合子さん。
新しい部署は人員削減も同時にあり、その分仕事がきつくなっていました。

また、仕事の内仕事はおもしろいが、プレッシャーもあり、容もデスクワークから顧客の相談窓口へと大きく変化いられるポストでした緊張を強閉経したのも異動があった頃。同居する母親が体調を崩し、通院に付き添って、午前中休暇をとることが増えたのもこの頃です。身辺の変化が重なりました。
自分ではがんばるぞ、という気負った気持ちはなかったつもりでしたが、課長代理はもうひとりいるのにやっぱり女性を意識して、肩に力が入っていたかもしれません。それに母のこともあり、気が休まるときがなかったのもいけなかったのでしょうと、百合子さんは改めて当時の自分を分析します。振り返ると、当時、更年期の自覚はまったくなかったものの、更年期の兆候はたしかにありました40代半ばくらいから関節の痛みや、のどや鼻の乾燥でしょっちゅう耳鼻咽喉科へ通院したり、膝が痛くて茶道のおけいこを休んだり、寝汗をかいたり不眠に始まるウツ症状が出たのは、新しい部署に異動になって8か月㎡仕事に追われ、家に仕事を持ちかえって、夕食もそこそこに翌日の会議の予習をしたり、出張先の打合せの原稿を作った分の許容範囲を越えていると、不安感を感じるようになったのは半年くらいたった頃だったように思うと、百合子さんは振り返ります。
症状を持つ人の中

ストレスがたまることはよくあります。

そのへんの気持ちをもっと課長に訴えればよかったと、思います。下のスタッフに仕事を振り分けるとかなんでも自分が請け負ってしまう浅はかなところがありました
仕事の量が自こんなこともありました。課長に呼ばれて仕事を言いつけられたときのことです。これ、やってもらえるはい、いいですよと百合子さんが即座に答えると、「あなたは仕事をできないといって断らない人だね」と、課長は百合子さんの顔を見上げました。百合子さんはなんの疑問もなく答えました。仕事ですから
しばらくたってハタと気づきました。

そうか!
ところが、ああ、仕事は断ってもいいということなのね以前の部署では感じたことのない不安感。
仕事がめいっぱいになってきたときに、上司はきちんと部下の仕仕事をふりわけてほしいという思いも直接訴えることはなかったものの、課長に対し事量を把握した上で、て内心不満も感じていました。
HRTでの治療が始まって、まず不眠が改善されました。しかし、落ち込みや不安感といった精神症状が2か月ほどたっても変化がなかったため、C医師から抗ウツ剤を処方されました。
自宅で療養中は本を読んだり、部屋の掃除をしたりする程度はできますが、外出はだめ。母親の代わりにデパートの地下食料品売り場へ買い物に行ったところ、人込みで急に不安感に襲われ、買い物もせずに人込みから逃げるようにして帰宅自分でも驚いたことがありました。
治療を開始していくのがよいと思います。

健康保険制度ではちょっと無理。


そんな経験は生まれて初めてでしたから、情けないと、落ち込むんですよ。あとから、そうしたことは更年期のウツ状態にはありがちだと知って、なーんだと思いましたけど改善の兆しが見えはじめたのは、会社を休んで3か月余りがたった頃からでした。
「私は抗ウツ剤のおかげかなと思ってます。それとHRTがようやく効いてきたのかもしれません」
また元気でやれるのではないかと自信がそのころから早起きをして早朝散歩を心がけ、フォーラムにも月1回出席するようにしました。
外出の機会をつくろうと、C医師のクリニックが主催する職場の上司や同僚、友人に恵まれていたのも、回復の大きな助けとなっています。休職中、上司に「現在の部署は荷が重いので、異動させてほしい」と申し出ました。しかし、「病気欠勤中の場合、病気が完治するまで異動させない」というルールにのっとって、「とにかくよくなるまでなにも考えずに休みなさい」と温かい言葉また、自宅療養中は社会から取り残されているような不安感や焦り、恐れを感じるもの。でも、筆まめな百合子さんは職場の同僚や友人たちに手紙を書いて、自分の現在の状況を打ち明け、理解を求めたのも幸いしました「ほとんどの人たちはわかってくれました。
なにげない励ましの手紙をくれたり、ウォーキングに付き合ってくれたり、食事にさそいだしてくれたり」
そうして4カ月余りたった頃、自分でもはっきりとわかるほど元気になり、6カ月目に職場復帰を果たしました復帰してからは仕事を休むことなくフルタイムで、ときには残業もこなすほど元気に。
ただ、病気の前と後では仕事に対する取り組み方に大きな変化が見られます。
今回、更年期障害でとてもつらい思いをして、さらに職場の40代の女性がガンで亡くなったりしたんです。
ふだん考えたことがなかったけれど、人間は生まれてから一歩ずつ死に向かって生きているのを、改めて感じるようになりました。
医者の多く

細胞間を経て静脈にもどります。

薬を飲みつづけている
それだけに、日々精一杯生きていかなければならない。それは仕事でつっ走るということではなく、もっとのんびりゆったり生きたい。仕事だけでなく、社会や地域につながりながらなにかしたいという気持ちがわいてきました。そう思えるようになったのは大きな収穫でした
友人から「30年間の疲れが積もり積もったのよ」といわれましたが、たしかに本人も目いっぱい一生懸命走ってきたという自覚があります。とにかく、無理はしないと決めました。
さて、5月に職場復帰を果たした百合子さんは、翌年の1月にウツ状態が再発しました。
そのあと突然また不眠に襲われました.C医師の診察の結果波が来たんですよ
風邪の症状が出て職場復帰した1カ月後には、睡眠剤と抗不安剤の必要がなくなり、抗ウツ剤も少しずつ減らし、数カ月後にはそれとも縁が切れ、HRTだけを続けていたところでした「前に1回経験しているので、怖さはなかったのですが、また仕事ができなくなるのがショックでしたね」
対応は早かったものの、すぐにはよくなりません。
症状は以前と同じ、不眠とウツ気分欠勤して1カ月がすぎた頃、元気になったので試みに半日出勤しました。しかし、電話はとれるものの、接気力の低下頭が働かず、書類に目を通しても頭に入らない、思考力、客は足がすくんでだめ。言葉が出ない、状態で、またまた落ち込んで……。
その後、百合子さんは4カ月余りの欠勤の後、再び職場復帰を果たしました「将来の不安はあります。今78歳の母親の介護の問題も出てくると思うし。ただ、最近になってこのまま更年期を乗り越えられたら、また元気でやれるんではないか、という自信が心の片隅に持てるようになりました」
仕事への仕事の空白、人生に立ち尽くした時間。百合子さんにとって大きな試練となった更年期の体験は、取り組みや生き方にも少なからぬ影響を与えたようです。
【体験症例⑤】「私は徹底していい娘を演じていました」
陶芸家の大野浩子さん仮名·52歳が更年期症状を自覚したのは48歳のとき。
浩子さんの場合も不眠がきっかけといいます。
結婚28年になる浩子さん夫婦に子どもはいません浩子さんは何店かの決まった店に作品をおろすかたわら、など、精力的に仕事をこなしていました。
2年に1度は定期的に作品展を東京·銀座で開く不眠が始まったのは暮れに行われた個展が終わってまもなくのことです。
まる頃からすでになにか変だったのです。
ガン剤を使うというのがセオリーになっています。

薬も処方されます。

あとから振り返ると、展覧会が始毎回、会場には大勢の友人、知人、それにファンが訪れるのですが、いつもなら人に会うのが楽しみなのそのときはなんとなく人に会いたくありません。会場に顔を出すのが苦痛でした。帰宅したときには疲労困憊こんな疲労感はかつてないほどでした。
展覧会が終わったあと、寝付きが悪くなりました。いつもなら床につくと、スーッと眠りに入り、朝はすっきり目覚めるタイプです。ただ、7年ほど前、父親が入院したときに不眠を経験したことがありました。そのときは漢方薬で3、4日もすると眠れるようになったのを思い出し、今回もかかりつけのドクターに頼んで漢方薬を処方してもらうことに。ところが、前回のように簡単に不眠は改善されませんたしかに前回にくらべてかなり症状は重いのが自分でもわかりました。頭の中の血管がドックン、と脈打つような感じがあり、強度の緊張がとけないのです。目がらんらんとして眠りにつけません。
れない日が何日も続きました。
ドックン朝まで眠漢方薬を2、3種類変えてみたものの効果はなく、胃が荒れるばかり。ドクターは漢方薬をやめて導眠剤と安定剤を処方。ようやく眠れるように。しかし、もともと知識欲旺盛な浩子さんは更年期症状やHRTについての情報を得ていて、この不眠は更年期からくるものではと自己診断し、婦人科を受診しました。

紹介されたクリニックを訪ねたのは、不眠が始まって1か月半ほどたったころです。生理は規則的にあっものの、血液検査の結果、E2卵胞ホルモンの値は17.7と低く、更年期症状が出てもおかしくないと言われました。そのとき総コレステロール値も上がっていて、更年期はすでに始まっていました。
初診の際、眠れないこと、とを訴えましたそしてこれまでの自分にはまるで考えられない対人恐怖症のような症状があるこ暮れの個展では人に会うのが苦痛だったのですが、した。きっかけは、両親の介護の問題でした。
その前から電話の音に恐怖心を抱くようにもなっていま7年ほど前から入退院を繰り返していた父親の病状がその頃にはかなり悪化し、その看病疲れで母親も倒れて入院。両親の面倒は全部浩子さんの肩にかかっていました。2時間かかる実家に通い、ときには泊り込みで父親の介護、食事をつくり、病院の送り迎え、そしてとんで帰ってきて仕事に集中。
うつ診断法

医師によって

ガン作用がある
会社勤めでないだけに仕事よりも両親のことを優先してしまいます。すると、仕事の時間に余裕がなくなるという悪循環。小説家の夫との生活の経済的な面を支えるのは浩子さんだけに、仕事の量を減らすわけにはいきません毎日のように、母親からは父親の介護の大変さの訴え、父親からは母親の具合が悪いが大丈夫だろうかと心配の声そんなとき、私は徹底していい娘を演じるわけですよ。あとでわかったことですが、本当はしっかりものじゃないのに、親の訴えを全部冷静に受け止めてあげて、頼りがいのある娘をやっていたんです。性格的にそういうときにくそまじめにがんばるんですよ
連日、両親から伝えられる深刻な状況に緊張が続き、神経が張り詰めたままリラックスできない状態になっていました。やがて電話が鳴ると悪い知らせでは?とドキッとして恐怖感さえ感じるように。そのころからでした、電話に出られなくなり、人と会うのが苦痛になっていったのは宅配便のために玄関に出るのも避けたいほどでした対人恐怖という思いもかけない症状にショックを受け、このままずっとひきこもりがちな生活をしていくのかしら、と考えると不安でたまらなくなります。
するとますます眠れなくなる、といった悪循環が始まってました婦人科の医師の診断は更年期症状
症といったところでしょうか。
ですが、心療内科的に診断するとがんばりすぎによる典型的な心身HRTを始めればすぐに眠れるようになると思っていた浩子さんの思惑ははずれ、ぐっすり眠れるようになったのは1か月ほどたってから。もともと精神科の薬を飲むことに抵抗を感じていた浩子さんは、それまでは自分なりに考えてこんな方法をとっていたといいますHRTを始めた最初の頃、床に入って3時間たっても眠れないときには、睡眠剤と抗不安剤を飲むことにしていました。やがて、睡眠剤や安定剤なしで眠れる日が多くなり、ぐっすり眠れるようになるとHRTも中止しました。

  • 「好きなこと好きな人を大事にしたい」
  • その後、両親のことなど大きなストレスがあるとまた眠れなくなることもあり、そのたびにHRTおよび睡眠剤、安定剤の力を借りるといった方法で、浩子さんなりのやり方でHRTを断続的に続けていたといいます。