ストレスが軽くなることもあるのです。

神経が優位

病気の経過としかし現在リギリのところでがんばってきて、プツンと切れたのが更年期なの更年期障害の体験者を数多く取材しているうちに気づいたことのひとつは、みんなこれまでの人生をずっとまじめにがんばり続けてきた人だという点です。いわばぎりぎりのところまで心身ともに酷使し、持てるエネルギーを使いきったために、そのあげく身体が悲鳴をあげたのが更年期症状ではないでしょうか。このまま走り続けていると、私はダメになっちやうとのメッセージ。今少し自分を見つめる時間をもらったとも考えられませんか。
の人生なんだったの。
この台詞に隠された更年期の意味を知りましょう「この時期は、改めて自分の人生をふり返り、その意味の問いなおしが行われることが特徴であり、れからの半生の方向づけを決めるものである」とは、心理学者の岡本祐子さんの言葉。
つまりがあって初めて、その後の人生の進むべき方向性が見えてくるといえるのです。それはこら問いかけい切ってカウンセリングを受けるのもを早める重要な方法「更年期障害の重い人は話したいことがいっぱいあるんです」と指摘するのは、更年期医療の現場にいる看護師さんです。更年期医療の中で、医師が患者さんの話を聞くことがいかに効果的か、心療内科の伊藤克人医師はこう証言しています。他の病院でなかなか治らない、薬も効かないと訴える患者さんに、別の薬を出すことがあります。しかし副作用が出たので、また前と同じ薬に戻したところ、治ったというケース、決してまれではないんです。その間、私がしている医療といえば患者さんの症状やプラスαの仕事の悩み、家族のことなど、とりとめのない話を聞いてあげることです。そのことからも、話を聞くことがいかに治療に効果的かがわかります。更年期の女性にとって話を聞いてもらう機会が多いのは、なんといっても婦人科医です。

医者の多く

検査方法

しかし、一般の婦人科医にとってはカウンセリングと通常の診療とは天と地、表と裏ほどの違いがあると郷久医師は言います。
患者さんが間違ったことを言っていると怒っている産婦人科医がよくみられるが、間違ったことを言うために受診しにきていると思ったほうがよい。間違ったことを正さないで、じっと聞いてあげることが治療になる。
話が途切れても、なぜそう思うかと質問をせず、そう思うのですねとオウム返しに言うほうが話が続きやすい。

いっぱい間違ったことを言っているうちに自分で気がついていくように仕向けるのがカウンセリングなんで現実問題として、残念ながら話にきちんと耳を傾けてくれる婦人科のドクターは圧倒的に少数派で、あなたがそういう医師に出会えたとしたら、とても幸運だと喜んでいいほどです。
もしなにがなんでもこれで治すという意志の力も決して無視してはいけませ池ドレディースクリニック銀座の池下育子医師のところには、既婚者より独身女性の患者さんが多く来院します。独身者と既婚者の医療を受ける際の姿勢の違いについて、次のようにいいます。
独身者はとりあえず自分ひとりで食べていかなければならない人がほとんどですから、バリバリ現役で仕事をしています。彼女たちは自分の仕事と生活をいかに守っていくかがすごく大きな課題です。それだけに、専業主婦の方たちにありがちな『お薬に頼らないで、なにか別の方法でなんとかよくならないかしら』、などといったあいまいなところはまずありません。医療が徹底されてい

病気がぶり返して再発するケース


もっと真に迫っていて、『とりあえずいいと言われているHRTを試してみて、合うか合わないかをみたい』と、自分の意志をはっきり最初から明示してくる方が、私の印象ですが多いような気がします。いいといわれるものを積極的に試すという姿勢、本当は解決の早道なのですが。

「私はがんばりすぎ

?」
更年期に多いウツや心身症。
その理由を探ってみるとがんばりやさん
ではないですか?
あなたは更年期症状の中でもウツ状態になる人は増えているといいます。更年期障害で来院する患者さんのうち、67割はウツ状態を含めた精神症状の訴えをもっているという報告もあります。それは、更年期の女性にかぎったことではなく、ストレスの多い現代社会で暮らす現代人はだれもがウツ病の予備軍といってもいいのかもしれませんが。

ただ、ストレスは若くて元気なときはちょっとした気分転換でやり過ごせても、更年期の体力、機能の衰えた身体にこたえるのも事実。老親の介護が始まったり、職場の配置転換などでいままでにない大きな心身の負担が加わると、それまでのがんばりも限界に達して悲鳴をあげます。とくに、「几帳面で責任感が強い、他人からものを頼まれると嫌と言えない、というような性格気質これを専門用語で『執着気質』といいますがこのような人はストレスを背負い込みやすく、ウツ病になりやすい性格気質であるといわれている」と、指摘するのは心療内科医の伊藤克人医師です。大きな変化をどう受け止めるか。その受け止め方の違いで、ストレスを強く感じる、感じないの差は大きく開きます。親に対して、仕事に対して、人間関係に対して、自分はこうありたい、そのためにこれだけがんばるという、そのがんばりが限界を超えたとき、身体は変調をきたします。
そうした過剰なストレスの影響はまずは身体に出て、やがて心にも影響を及ぼします。その身体的前触れが不眠といわれています。不眠はウツ状態を暗示するサインとも受け止めてよいでしょう。身体だけでなく心も疲れているのです。そんなときは休息あるのみです。十分な休息の最中に、こんな問いかけが聞こえてくるかもしれません果して、あなたはこの先もこれまでと同じようにがんばり続けるつもりなの?

ストレスが軽くなることもあるのです。

神経生活にはリズムが必要なのです。

検査で異常が見つからない自律
更年期はこれから先に続く後半の人生の入口です。そこに立っていると気づいたとき、やり方は通用しないという答えが、いまある心身の不調ともいえるでしょう。
この先の人生は同じ前半生の終わりが見えた今が、この先の人生を楽しみ、さらに自分にある可能性を伸ばしつづけるため自分の性格気質をよく知ったうえで、自分自身の一部手直しをするチャンスではないでしょうか。自分の人生になにがいちばん大切なのか、この先迷子にならないためにも、後半生の始まりに知っておく必要があるでしょう。もし、まだ知らないとしたら、今のうちに見つける努力をするのは決してむだではありません【体験症例④】「眠れないのはもしかしたら更年期」
「もう、これ以上頑張れない!」。
更年期にありがちな不眠は、身体からのそんなメッセージのことが多いものです。たとえば、ここでご紹介する須藤百合子さん仮名·54歳のように。百合子さんの不調の訴えは風邪の症状からでした。肩凝りがいつになくひどく、体がだるく、喉も痛い、多少寒けもしました。わが身をだましだまし仕事に出かけていましたが、風邪の症状は一向に改善されません。休みをとって2、3日家にいると眠れなくなったのです。かかりつけの診療所のB医師を訪ね、なかなかよくならない症状を説明すると、安定剤と睡眠剤を処方されました。少しは眠れるようになったものの、頭がボーッとして思考力がなく、ひどい肩凝りも改善されません。グズグズと症状がとれないまま1か月近くたったある日、睡眠剤を飲んで寝たにもかかわらず、夜中の3時に目が覚め、それっきり朝まで眠れなくなりました。
症状の他

うつと付き合う秘訣でもあります。

B医師にもっと眠れる睡眠剤を出してほしいと頼んでから、ずっと心にひっかかっていた疑問を口にしまし私が眠れないのはもしかしたら更年期で、婦人科へ行ったほうがいいのでしょうかするとB医師からは思いがけない言葉が返ってきました。
「あなたの場合は眠れないんだから、婦人科より精神科へ行ったほうがいいと思いますよ」
百合子さんは婦人科へ行くことを頭から否定され、さらにまったく考えてもみなかった精神科と言われたのが大きなショックでした。この1か月、症状が悪くなるばかりで落ち込んでいるところに、医師のこのひとことがさらに落ち込ませることに。
では話にならないと、百合子さんは病院を変える決心をしました。

新聞記事をたよりに、更年期医療に関しては全国的にも名前の知れた大学病院の更年期外来を訪ねました病人には膨大とも思える問診表に記入し、血液検査、内診、運動神経の検査のあと、長時間待って、ようやく診察の順番がまわってきました。担当の30代の医師は現在の症状を簡単に尋ね、百合子さんがB医師からだされていた薬を見せると「これで眠れないということはないですよ。
続けて飲んでください。
あと、漢方薬を出しておきますから」
と断定的に言って、診察は3分ほどで終わりました。
いと言われ、失望感だけが残りました眠れない
と訴えているのに、眠れないはずはな2度目の診察でも担当医はほとんど百合子さんの話を聞くこともなく「検査の結果を見ると、典型的な更年期障害です。子宮ガン、乳ガンの心配はありませんから、らく行って様子をみましょう」
HRTをしばと一方的に説明をしただけHRTについての説明も一切ありませんでした百合子さんの話を聞いて、更年期医療のリーダーシップをとっている大学病院とは思えないようなお粗末な対応に、驚きを通りこして憤りに近いものを感じます。その後も症状が変わらず、眠れない不安でパニックになりそうになっていた百合子さんは、病院がお正月休みに入るまえにどうしてももう一度診てもらわずにはいられなくなり、再び担当医に電話。すると今度は「あなただけが患者じゃないのだから、もう少し様子をみなさい」と怒られてしまいました。

医者の多く

免疫機能が活性化する

病気と間違えているわけではありません
眠れない上に、医師からすっかり見放されてしまったと感じた百合子さんは不安感を募らせていきました。
そんな矢先に、肩凝りの治療のため通っていた中国の整体の先生から、「薬に頼っていてはいつまでたっても治らない。睡眠剤はやめて、毎日ウォーキングをしなさい」と勧められました。言われるままに睡眠剤をやめたところ、百合子さんはその日から一睡もできなくなってしまったのです。まさに溺れる者は藁をもつかむの言葉通り。医師との信頼関係をうまく築けなかったために、病状が改善されないばかりか、思いがけない落とし穴にはまってしまいました。
百合子さんは思い余って夜中に、病院を変えたほうがいいわよ親しい友人にSOSの電話を入れました。
い先生を紹介してあげるから、朝まで待って
翌朝、百合子さんは友人に抱き抱えられるようにして、更年期医療では良く知られたC医師のもとを訪ねました。憔悴しきっていた百合子さんでしたが、涙ぐみながらこれまでの経過や不安感を医師に訴え続けているうちに、気持ちが驚くほど落ちついていくのを感じたといいます医師は40分ほど百合子さんの話に耳を傾けたあと今出ている薬も睡眠剤ですが、ほかの薬に変えてみますかと尋ねた上で、薬を変えることを提案しました。
「不眠もウツの症状のひとつですから、気分が少し元気になる薬をだしましょう」
と説明し、改めて睡眠剤と女性ホルモン、断は大学病院と同じ更年期障害ウツ状態
それに抗ウツ剤、でした。

抗不安剤、漢方薬を処方しましたC医師の診C医師の「眠れないのもウツの症状のひとつ」の言葉に、という自分につけられた診断を理解し、納得しました。
百合子さんはそのとき初めて更年期障害ウツ状態「そのへんの気持ちを訴えればよかった」
百合子さんにとって、専門家の医師にゆっくり話を聞いてもらえたことがなによりの薬になったのでしょう。
その夜、2か月ぶりに安心してぐっすり眠りました。
ただ、睡眠に改善はみられたものの、頭がボーッとして集中力がない、気分的な落ち込みはすぐには回復しません。またひどい肩凝り、動悸もあり、とうてい仕事を続けられる状態ではなく、診断書を会社に提出して半年間の病気欠勤することになりました百合子さんが勤務する職場は国の外郭団体で、就業規則も公務員に準ずるところが多いせいか、民間企業に比べると働く女性への手厚い配慮がなされているようです。

細胞が食べられるときに炎症反応が起つまりとSOSを出す。

うつ診断法

周囲の理解は薄かったようです。
更年期障害が病気としての市民権を得たのはごく最近のことで、当時はじっと我慢してやりすごすものとみなされていました。だれも、胃潰瘍やガンになったときのように心配したり、休養するように勧めてくれません。周囲の無理解に孤独感を強くしました。
しかし、それ以上につらかったのは、身体に起きている事態は深刻で、我慢してやりすごせるようなものではなかったのに、適切な治療をうける手だてがわからなかったことです。ひとり苦しみに耐えなければなりませんでした。とくに範子さんが体験した当時は、情報も極端に少なかっただけに、苦しみや不安、とまどいははかりしれないものがあったに違いありません。

「私はなんてだめなんだろう」
もともと国立病院で看護師として勤務していた範子さんが、私立の男子校の保健婦として転職したのは32歳カウンセラーの役目も果し精神的な悩みにも相談にのり、のとき。男子生徒には範子さんは母親的な存在で、ていましたしかし、具合が悪くなってからは生徒の話を聞くのもうっとうしい。生徒が相談に来ると「そんなの我慢しなきゃだめ」と冷たくあしらって、薬を渡して追い返すことが度重なりました。人が変わったようになった範子さんに面食らったのか、先生、どうしたのと生徒たちが顔をのぞきこむこともしばしば。先生たちからもどうしたの?と言われることが多くなっていきましたというのも、申し送り事項を相手に伝えているにもかかわらず、伝えたかどうかわからなくなり、相手に再度確認してしまうことが度重なる。

治療の考え方子宮内膜症

仕事上その場で決断して返事をしなければならないことが多いのに、決断できず、すぐに対応できないなど、今までにない仕事ぶりに教師たちもとまどいを覚えたのでしょう。
こう仕事がてきぱきできなくなってはみんなに迷惑をかけるばかり。職場にいてはいけないんじゃないかしら。考え込む範子さんの顔からイキイキとした表情が消えていきました。暗く沈んでいる範子さんがウツ状態だと気づいたのは、週1回登校する校医でした。浅沼さん、死にたくなることはないですか。

ウツ状態がどの程度深刻か、確認したのでしょう。
「とんでもない90歳近い母がいますから、母より先に死ぬわけにはいきません」
その答えを聞いて、校医は少し安心したような表情をみせて、軽い安定剤を渡してくれました。
むと少し眠れるようになって、その分だけ身体が少し楽に。それでも精神科の薬には抵抗があり、の悪いときにだけ飲むようにしました。
安定剤を飲よほど調子症状がいちばんひどかったのは5152歳の頃。友人がガンで亡くなったショックも気分を落ち込ませた原因のひとつです。また、職場では学校改革をめぐって職員同士派閥の対立が表面化し、人間関係がギスギスしていたのもストレスになっていました。学校へ行くのがつらくてしょうがない。それでも無遅刻無欠勤できたのだから、仕事は決して休むまいと、往復タクシーを使ってでも出勤したところに範子さんの生真面目さがのぞきます。平日、かなり無理をしていたその反動なのか、週末になるときまって熱が出て下痢が続きました。
自宅で横になっていると、この先どうなっていくのだろうと不安でいっぱい。食欲もなく食事をとれません職場以外では人と会うのが怖く、アパートで住人とすれ違っただけでドキドキしました。

 

細胞の働きが抑制されなく

初めての経験でした無理をおして出勤していたのがよくなかったのでしょう。その年の夏休みは休みに入ったとたんに床についてしまいました安定剤を1日3回飲んでひたすら眠り、水分は牛乳で補給し、あとはお腹がすいたときに冷蔵庫にあるものを少し口にする程度。だれにも会いたくない、なにもしたくない、だいいち体がいうことをききませんでした。
最悪でした。
それでも、夏休み中休養を十分にとったのが奏功したのか、9月に学校が始まる頃にはだいぶ元気になってました範子さんにとって救いだったのは、校長が理解を示してくれたことでした20年間無遅刻無欠勤で勤務し仕事はきちんとこなし、滞ることがなかっただけに、仕事を怠けているとはみなしませんでした。範子さんが大変申し訳ないのですが、どうしても具合が悪いときには保健室でベッドによりかかって、座ってもいいでしょうかと申し出ると、快く許可し、無理しないように
と気遣いをみせてくれましたそして、もうひとり数年後に範子さんの伴侶となる数学の教師が、見かねて仕事を手伝ってくれたり、不安や眠れない辛さを聞いてくれたのが大きな救いでした。
また範子さんは少しでも気分のいいときは、美術館へ行くなど外出をつとめてこころがけたのもよかったようです。といっても、ひとりではとても出掛ける気力はなく、友人に連れだしてもらうという状態でしたが。
「自分はウツ病なのかしらと疑っていました。でも本当のウツ病とまでは思えなくて、更年期なのかなと漠然と考えていました」
そんな矢先、退職を決意させる出来事が起きました。春の身体検査の準備に入ったときです。養護教諭の範子さんが先頭にたって指揮をしなければならない立場です。ところが、もう20年近く毎年のように繰り返してきた仕事なのに、いつものように段取りよくてきぱきと進められません。
身長、体重、レントゲン、聴診、検査場に振り分け、係の生徒をそれぞれの持ち場に配置してはずなのに、なぜか全体をきちんと把握できているという自信をもてないのです。
治療法を選ぶうえ

老化が進むというもの。

ようやくなんとかその日を終えたときには身体はくたくた、精神的には「私はなんてだめなんだろう」とすっかり自信喪失していました「自分は経験もありベテランにもかかわらず、先頭に立ってやらなければならない仕事の責任が今までのように果たせないのだから、もう職場にはいられないと思いました」
の項目ごとに会場を決め、外から来校する6人のドクターを各会細かい指示をしていくのですが、慣れた仕事のこの出来事を機に、それまでがんばり続けてきた糸がプツンと切れてしまったのか、範子さんはその後、文部科学省が関係した大きな仕事を断ってしまいます。
体調の悪さはとうてい理解してもらいようもなく、ただ、無責任でわがままな教諭としかみなされていないにちがいないと思うと、一刻も早く職場を去るしかないと決意を新たにしていました「今振り返ると『あれはなんだったのだろう』と思うのですが、あのときは身体も頭もまったくいうことをきいてくれないのですから、どうしようもありませんでしたね」
「よくなるものがあるのなら何でもやりたい」
範子さんが回復のきっかけをつかんだのは、春の身体検査から2か月後、親しい友人のアドバイスでした「漢方薬で更年期障害の治療をしている先生がいるから、一度診てもらったらどうお」
紹介されたのは東京医科歯科大学産婦人科助教授だった小山嵩夫医師です。
当時、小山医師は大学の付属病院で更年期障害の患者さんを一手に引き受けて、治療にあたっていました(現在は東京銀座で小山嵩夫クリニックを開業)。
小山医師が更年期医療に本格的に取り組むようになったのは83年。研究発表でたびたび米国にでかけていったところ、米国の医学者から「日本も高齢化社会に向かって老齢化の分野にも力をいれなければ」と助言されたのがきっかけでした。更年期以降の女性が元気で生きるための医学、いわゆるメノポーズの領域の医学にっいては当時から米国では多額の研究予算が出ているとも聞かされていました。
いっぽう日本では、更年期医療の分野は学問的にもほとんど研究が進まず、臨床的にも対症療法や男女混合ホルモンの注射、あるいは漢方薬を使うといった旧態依然とした治療が行われていました小山医師はまだ日本では未開拓分野のホルモン補充療法略してHRTの試みを始めていました。

薬をのまざるを得ない状況に追いやられるわけです。

いまでこそHRTについて知識を持つ更年期女性は多くなりましたが、その頃はほとんど知られていません。また大学病院の外来のあわただしい診療時間内にHRTについて説明するのは限界がありました。そのため、患者さんの中にはHRTが効果がありそうだと判断して試みたものの、出血などの副作用に驚いて、12回通院したあとはばったり姿を見せないといったことが続いていましたHRTについてはまだまだ臨床例が少なく、試行錯誤が続くといった状況のなか、範子さんは小山医師の診察を受けました。診察前、範子さんはあらかじめ渡された「簡略更年期指数SMI参照に記入してみると100点満点で、精密検査と長期間の治療が必要との評価でした漢方薬などの治療を始めて1か月余りが過ぎたころ、小山医師が範子さんに勧めたのがHRTでした「浅沼さん、いちどホルモン補充療法を試してみませんか。血液検査でもエストロゲンはゼロに近い状態です。し、試してみる価値はあると思いますよ」
子宮はすでに摘出していたので、子宮体ガンの心配もないと言われました「ちょうどアメリカに住んでいた友人がHRTを知っていて、アメリカでは受けている女性が多いという話を聞かせてくれて、やってみようかなと決心がついたのです。
それによくなるものがあるのなら何でもやりたいという心境でした」
と範子さんは打ち明けます。
職場にもどって校医にHRTの話をすると、60代半ばの内科医師は一言告げましたホルモンは怖いよ
しかし、範子さんは元気になれるのだったら、ところです。たとえ寿命が縮んだとしても試してみたいというのが正直な範子さんの場合、HRTを始めて4週目くらいから効き目が現れ始めました。肩凝りがうそのように消え手足の冷えが改善されて、体が軽くなっていくような感じがしました。よく眠れるようになり、食欲も出てきたせいか、体力が徐々についてきたのでしょう。朝起きて仕事にでかけるのがおっくうじゃないと感じるのは何年ぶりかの気分でした。身体症状もみるみる回復しました。ただ、ひどい物忘れや一度失った仕事への自信を取り戻すには、まだしばらく時間が必要でした。

治療法を組み合わせることも可能です

細胞が食べられるときに炎症反応が起つまりとSOSを出す。その後、範子さんは更年期の嵐の直中にいたときに支えとなってくれた同僚から、結婚を申し込まれたのを機会に職場を去り、まもなく結婚しました。範子さんは56歳の初婚、夫となった真一さんは凄を亡くして5年たっていました。
ところで、範子さんは症状が改善されたいまもHRTを続けているといいます。ずっと続けているのはアルツハイマーの予防が主な目的です。最近、学生時代の友人たちに会って驚いたのは、飲んでいる薬の多さ。降圧剤やコレステロールを下げる薬やら。私はエストロゲンだけでとても元気に過ごしていることを知って、改めてHRTに出会ってよかったと思いました。
健康維持に加えて、半年に1回血液や骨量検査、乳ガン検診が義務づけられているので、行き届いた健康管理ができていて安心です。小柄でふっくらとした肉付きの範子さんは、つらく厳しかった更年期の体験を語りながらも、取材の2時間あまり終始穏やかな表情を崩すことはありませんでした。そんな様子から、50歳を過ぎて良き伴侶に恵まれた範子さんの、心身ともに安定した現在の幸せな生活がうかがわれるようでした【体験症例②】「こんなに外見にこだわると気づいた時に……」
身体的な衰えのなかでも、容色の衰えは女性にとって大きな意味を持ち、強烈な自分への否定につながりかねません。もう2度と取り戻せない若い頃の美貌とスリムな肉体。今鏡に映る身体の否定的なイメージをどう受け止め、これから先をどのように肯定的に生きていったらいいのかここで紹介する石田恭子さん仮名·55歳は少なくないのではないでしょうか。


細胞が食べられるときに炎症反応が起つまりとSOSを出す。 医師による 認知症の患者さんの多く