治療法今

医者の多く

ほどの激しさではないにしても、こうした葛藤体験を持つ女性石田さんはシングルのひとり暮らしで、ピアニストとしてイベントやホテルなどでの演奏活動で生計をたててきました。若いときには外国暮らしも体験し、美しくドレスアップしてパーティに出席する機会も多く、そんな華やかな生活を写し取った写真が、恭子さんがくつろぐリビングに飾られています。恭子さんの更年期はのぼせと多汗に始まりました。50歳の冬でした。
ある日、ベッドで寝ていたところ、明け方にものすごく暑くなって、目がさめました。
全身汗をかいて、ナイトウェアだけでなく、シーツまでびっしょり。
着替えて再びベッドに入ったものの、30分もするとまたカーッと暑くなって汗びっしょり。
もともとやせ型で冷え性冷房が苦手で、をかくなんて信じられないことでした夏でも靴下なしではいられない寒がりだったので、こんなにも汗その日以来、毎日のように夜中の多汗が恭子さんを襲いました。就寝して2、3時間するとカーッと暑くなってどーっと汗をかく。3日目くらいから動悸も伴うように。心臓がバクバクして苦しくて横になっていられないので、起き上がる。暑い身体を冷やそうと裸になってアイスノンを体にあてたり、冷房を入れたりの大騒ぎ。汗がおさまると、今度は寒けがしてガタガタと震え上がる。
多いときは一晩に10数回もそんな状態が10日も続くと、睡眠不足で昼間もぐったりして、ベッドから起き上がれなくなってしまいましたすぐに病院へは行かず、まずは親しい漢方医に相談しました。
漢方医から「更年期症状が出てますね」と言われて初めて、更年期障害を自覚しました。激しい動悸に心臓病を心配しましたが、更年期の本を読んで典型的な更年期症状とあってなっとく。本によると治療はHRT漢方薬、運動と食事療法などが効果があるとか。当初、恭子さんはガンの不安からHRTを試そうとは思いませんでした漢方医から漢方薬と食事療法の指導を受け、3か月ほど続けました。一時的には症状は回復したもののぐっすり眠れない。そのため日中もボーッとしたまま。体が思うように動かない、気力が出てこないため、仕事も休みがち。それに伴って、気分的な落ち込みもひどくなっていきました好きなことに興味がなくなる。

症状のひとつと考えれング

自分にとって癒しやストレス解消にもなっていたことができなくなるというのは、ウツ状態の典型的な症状のひとつです。恭子さんがまぎれもなくウツ状態になっていたのは、音楽をまったく聞かなくなったことからもわかります。恭子さんにとって物心つ朝起きると、まず自分の好きな音楽をかけて、気分をリラックスさせつつ、今日1日のスケジュールを考えていくというのが恭子さんの日課でした。それが、ひどい寝汗をかいて七転八倒しているころから一度もCDをかけなくなっていました。
「オーディオのスイッチを押すのもうっとうしくなってきた」
いたころから体の一部だった音楽と振り返る恭子さんショックでしたね。音楽が自分を元気づけるものでなくなっていた、ているの、って思いましたものと気づいたときは。
あとはなにが残っしかし、恭子さんを落ち込ませたのはそれだけではありませんでした「年齢が50歳になって思ったのは、もう、正直に申し上げるわね」
と、覚悟を決めた様子を見せてから、つらい胸のうちを打ち明け始めました私は人間は外見ではないと思っていたの。
でも、本当はそうじゃなかったんです。ひどい更年期障害になって、人と会うのがおっくうで、外出しなくなりました。家にいると体を動かさないで食べるばかりで、体重は目に見えて増えていきました。動悸がする、ホットフラッシュで暑くなるので体を締めつける洋服が着られない。風通しのいい洋服を着ている自分の姿を鏡でみたときに、別人が立っていました。もう恥ずかしくて、誰にも会いたくないと思いました。外見重視じゃないと思い込んでいた私が、たときに、私はもう終わりだと本気で思いました
こんなに外見にこだわると気づい失うことへのダメージは、それがもう2度と取り返しがつかないと思ったとき、大きくなるものでしょう。ウツの症状は悪化するばかり。将来の夢や希望がなく、そして強く執着したとき目標もなくなっていました「こんなになったのはあなたのせいよ」
ウツはものごとをいいほうには考えられない病気ですが、恭子さんも例外ではなく悪い方へ悪い方へと考えさらに自分はもうだめだと決めつけ、気持ちを沈めていきました。
恭子さんには10年余りの付き合いになる不倫関係のボーイフレンドがいましたたまらなく不安になるんですね。別れ話が出てたわけでもない。彼はやさしくしてくれるし、病気になってからはいっしょに病院にも行ってくれるし、身の回りのこと、頼んだことはなんでも引き受けてくれる。

 

医師のところにかけこみました。

でも、このままずっといい関係でいられるのかとか、このまま年をとっていくとどんどんきれいな面がなくなってしまう。ものごとを素直にとれなくなって、皮肉にとったり、ふだん言わないような暴言をはいてしまっいつもの自分じゃなくなっているのに気づいて愕然とするんです。私の人格はどこへ行ってしまったんだろそして自殺未遂。ひとりではマンションにいるのは危険だとまわりが判断し、総合病院の心療内科に入院することに。更年期症状の発症からちょうど1年たっていました。ここでは投薬治療と、毎日ドクターのカウンセリングをうけ、玄米の食餌療法も行いました。ドクターからHRTを勧められましたが、飲み薬にはどうしても抵抗があり、張り薬を使うことに。
病院に一時的に入院して精神的には少し落ちついたものの、その後も不眠や、ホットフラッシュ、動悸、ウツなどの症状はおさまらず、回復の兆しをなかなか実感できない日々が続いていました。
2年ほど心療内科の治療は続きましたこの間、ほとんどウツウツとした状態の中で、宅配の食事をとって、ベッドに横になるだけの毎日。経済的なことを考えるとどんどん落ち込んできます。毎月いくらかかって、年間にいくら。このままだったら、元気になってもお金はなにも残っていないじゃないか。そうしたら生きていてもしょうがないドにも「こんなになったのはあなたのせいよ」と当たり散らし、そのたびにあとから落ち込むという繰り返しでしたボーイフレン恭子さんが回復のきっかけをつかんだのは、HRTを飲み薬に切り換えてからでした。
科系の病気の後遺症があり、久しぶりに婦人科医を受診したところ「これだけ更年期症状が出ているのだから、HRTをやったほうがいいでしょう」
以前、手術した婦人と勧められました。HRTに対するガンの偏見はぬぐえてはいませんでしたが、います。
症状が出ます。

薬局で買って気軽に使っているでしょう。

「更年期障害でこんなにつらい思いをするくらいなら、命を縮めてもいいう祈るような気持ちで始めました」
このとき覚悟を決めたとい神様、どうか楽にしてくださいと張り薬からプレマリン卵胞ホルモンとプロゲストン黄体ホルモンの両方を毎日飲む方法に切り換えたところ、数週間で効果が現れました。専門家によると、同じHRTでも、張り薬より飲み薬の方が、より顕著な効果がみられるケースはままあるといいます。少し気力が出て、新聞が読めるほどに回復し、それまでできなかった外出もするようになり、電話にもでられるようになったのです。飲み薬を始めて2か月足らずで更年期のフォーラムにも参加できるほどに回復しました。それまではどんなに誘われても、家から出られなかったのですから、その効果は大きいといえるでしょう。
「私にとってはHRTはなにより気力をある一定程度まで引き上げてくれた、その基礎的な力をつけてくれたところがすばらしいと思いました。最低限の基礎的体力、気力がなければなにもできないんですから」
と恭子さんの実感です。「更年期障害は私にとってのプレゼント」
ところで何人かの医師に受診した恭子さんですが、恭子さんが

  • 医師によってアドバイスが異なるてんな経験をしました
  • 「1日なにもする気になれない」
    と訴えると、あるドクターはこう言いました。

    「動きたくないんですね。では、外出するのが無理だとしたら、すかベランダへちょっと出るとかしてはいかがででも、その一歩が出られないんです」
    「自分のできる最小限の中ででもできることをしないと、人間は退化していってしまうから、無理でもベランダへの一歩はだしましょうね。そういうルールはつくったほうがいい」
    たとえば散歩は別のドクターは出られなければ、自然に出られるようになるまで出なくてもいいんじゃないですかと、違う考え。
    恭子さんは後者のドクターの言葉に救われたと言います。まったく出られない日もあり後者の医師のアドバイというのも、日によってベランダの枯れた花をつもうかなと思う日もあれば、ます。前者の医師の言葉は恭子さんにとってプレッシャーとなっていました。しかし、スがあったおかげで、たとえ出られなくても気持ちは冷静でいられたといいます。睡眠剤、抗ウツ剤、抗不安剤など精神科系の薬を飲み、カウンセリングをうけ、HRTを試みて、発症してから3年近くたって、マイナス思考がプラスに向きを変え始めました。

    心筋梗塞などの副作用が起きたケースがあることが報告

    ただ、ウツ状態からすっかり抜け出す。にはさらに2年の歳月が必要でした。
    HRTで大きな効果を得られた恭子さんの場合、ウツのひきがねはのぼせや発汗、動悸といった典型的な更年期障害でした。こうしたケースはやはりまずはHRTで身体的な面を改善させることで、回復への大きな前進を得られることが多いといわれています。「気力が戻ると、人間がわがままだから心の苦しみが頭をもたげてくるんです」
    ボーイフレンドとの将来はどうなるのか。もうこれ以上は先のばしにはできない深刻な問題でした。仕事は収入の道はどうするのか。さらに体型が崩れてくるとか、白髪になった、目が老眼が進んでみえにくくなる歯がだめになる、肌が乾燥して新聞のページが1枚ずつめくれないりません。どう受けとめたらプラス思考になれるのか。少しずつ沸いてきた気力を頼りて自分が生きる道を探しだすしかないと考えられるように。ボーイフレンドとは自殺未遂などの修羅場の末別離人間、だれにも老いはやってきます。それをどう受け入れていくかというのは大きな課題です。私の場合は劇的な更年期障害を体験したことによって、一気に深く考えさせられました。生活を変える決心がついたので更年期障害は私にとっては大きなプレゼントになったと思います。そう考えられるようになった自分をほめてやりたいくらいです。暗くなる話を数えあげたらきりがあに、これらを乗り越え、失ったものが大きかったからこそ、ゼロからやり直す覚悟ができたようです。
    これからが本番です。
    【体験症例③】「がんばってきて、
    プッツンと切れたのが更年期」
    自分がこれまでのようにバリバリ仕事ができる時間はそう長くはないと思い知らされたとき、自分の能力の限界を実感し、果して自分の人生これでよかったのか、考えさせられます。そのとき、すぐにイエスと答えられる人は稀でしょう。
    むしろ、多くは真鍋三枝子さんないでしょうか仮名·64歳のように、一度は否定的になって落ち込みを体験するのでは長年身を置いてきたバリバリのキャリアウーマ真鍋三枝子さんは新聞というマスメディアの制作の現場に、ンです。同業の夫と28歳になる長女の3人家族更年期のウツ症状で苦しんだのはちょうど10年ほど前53歳で閉経して、やれやれこれで海外出張のときに生理の心配がなくなったと思っていたのもつかのま。ホットフラッシュが始まり、私はどうして急にこんなに汗っかきになったんだろうと驚くほどです。それに肌がピリピリと静電気が起きそうなほど乾燥。ひどかったのはウツ症状でした「ずっとギリギリのところでがんばってきて、プツンと切れたのが更年期職場での地位とか能力とか自分の限界が見えてくるんです。

    医学です。

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